「サウンドダック」は、社会人の音楽仲間の出会いと交友の場です。 ジャズやボサノバが好きな人が集まり、上手いや下手にとらわれず、自分なりに音楽を楽しもうとできた年齢不問(ヤング・ミドル・シニア)の音楽サークルです。

サウンドダック連絡室(^^♪

Author:サウンドダック連絡室(^^♪
                                   ◎ ジャズ&ボサノバ 「サウンドダック」は、上手い下手にとらわれず、自分なりに音楽を楽しもうとできた神戸+関西の年齢不問(ヤング・ミドル・シニア)のサークルです。

◎ 交流会で気の合う仲間を創り、別の楽器の人と知り合い、世代と立場を超えて交友を広げ、自分の音楽をもっと楽しくしようというコンセプトで集まりましたー(^^♪

(注・記事の日付けはすべて無視して下さい)

◇ 日本中のジャズ・フリークが登場します。 実に面白い!色んな人がいるもんですねー(笑)。けっこう勉強にもなりますよー。                   

FC2ブログランキング


-天気予報コム- -FC2-


−真っ黒けのフィーリン・ザ・スピリット−



ジャズファンの間でよく、「ブルーノートで一番好きなレコードは何か?」というような話題で盛り上がることがある。
もちろん金曜日の居酒屋orバーでのことであるがー(笑)。
(ブルーノートはレーベルとしてよく話題になるが、何故かプレステッジがレーベルとして話題になったことは一度もないなぁー)




20071119102737.jpg




一般論で名盤となれば、
マイルスの「サムシン・エルス」(クレジットはキャノンボール)、 コルトレーンの「ブルートレーン」、 ソニー・クラークの「クール・ストラッテン」、 リー・モーガンの「キャンディ」、 ケニー・バレルの「ミッドナイトブルー」、 ルー・ドナルドソンの「アリゲーター・ブーガルー」、 ブルー・ミチェルの「ザ・シング・トゥ・ドゥ」、 ハービー・ハンコックの「処女航海」、 ウエイン・ショーターの「ジュジュ」、 ラリー・ヤングの「ユニティ」等などの歴史的録音がすぐに浮かぶだろう。

もちろん、所謂ジャズファンで、「サムシン・エルス」を好きじゃないという人間に出会ったことは今だかってない。
しかし、これほどの名盤になってしまうと、歴史的な意味合いが強すぎて、ことさら、「俺は枯葉のサムシン・エルスだ!」と主張するのも妙に照れくさいもんであるー(苦笑)。



(サムシン・エルスについての余談をちょっとー。
キャノンボールが、初リーダ作で不安だから、マイルスに声を掛け、マイルスが友情参加したが、あまりにもマイルスに存在感があり過ぎたので、ブルーノートの創始者アルフレッド・ライオンが、マスターテープを入れた箱に、ついマイルス・デイビスと書いてしまった、という有名な逸話がある。

しかし、真実はちょっと違うらしい。

プレステッジとの契約に縛られてブルーノートに録音できないマイルスは、無名の若き頃に何度も録音の機会を与えてくれたアルフレッド・ライオンに恩義と義理を感じていた。
後の帝王マイルス・デイビスは、実は義理と人情の人だったのである。

ある日、マイルスからアルフレッドに電話があった。
「いい方法を思いついた。キャノンボールをリーダーにして録音しないかー」。

普通はプロデューサーの仕事であるが、なんと他のミュージシャンのスケジュール調整まで、マイルス自身がした。
そして、すべての選曲もマイルスがし、そのアレンジを持ってブルーノートのスタジオに現れた。

この時にジャズの世界で初めて枯葉が録音された。そして歴史的名盤で、リーダー・クレジットがキャノンボールの「サムシン・エルス」が誕生したのである。
アルフレッド・ライオン自身が、後年、雑誌のインタビューで述べているからこれは事実であるだろう。

サムシン・エルスは、あらゆるジャズのCDの中で、この日本ではいまだに売り上げはナンバーワンであるらしい。実際、4曲目の「ワン・フォ−・ダディ・オー」はいつ聴いても痺れますー)



しかし、名盤×好きという感情を尺度にすれば、ちょっと事情は違ってくる。
そこに、「自分だけ」という密かなニュアンスが入ってくるのだ。
(要するにジャズ・ファンというのはそんなもんですー)

そこで、定番となっている有名盤をちょっと外れたところを、わざとさりげないふりをして言うことになるー(苦笑)。

そのニュアンスで言えば、僕にとってはなんと言っても、グラント・グリーンの「グリーン・ストリート」である。
グラント・グリーンは、一般にもブルーノートの看板ギタリストとしてその名は通っている。
しかし、実に不思議なことに、グラント・グリーンは、究極のジャズ・レーベルであるブルーノートの大スターでありながら、その演奏スタイル、フレーズにほとんどジャズの匂いがしない。

若き天才、三島由紀夫の書いた「金閣寺」を読んだ批評の神様、小林秀雄が、「三島の才能には驚くが、これは小説ではない」と言った有名な言葉がある。
それをパロディれば、「グリーンのヘタウマには驚くが、これはジャズではないー」という感じであるー(爆笑)。
(注ーこれは小説ではない、と言ったのは、あまりに観念的であるという意味です)




20071119102910.jpg




グラント・グリーンは61年に29歳でメジャー・デビュウーをしている。それまでは地元のセントルイスでR&Bのバンドにいた。
ジャズとはちょっと離れたところで音楽をしていた。

そんなブルース・ギターリストが、ツアーでセントルイスを訪れたサックスのルー・ドナルドソンに見出された。

ルーは、60年頃から新しい潮流として生まれたファンキージャズの旗手である。
この出会いがグリーンの運命を決定付けた。アルフレッド・ライオンに推薦されたのである。


アルフレッドは唯の一度もグリーンの演奏を聴かずに、二つ返事で録音の承諾をしたらしい。ルー・ドナルドソンの推薦を信頼していたのである。
アルフレッドはあの音創りの繊細さとはうらはらに、相変わらず、経営者としては肝っ玉が太いー(笑)。
(因みにリー・モーガンの麻薬代は、すべてアルフレッドのポケットマネーから出ていたらしい)

R&B、ブルース、ゴスペルを音楽の基盤に置いていたグラント・グリーンが、生粋のジャズ・レーベル、ブルーノートでデビュウーしたのである。


アルバム、「グリーン・ストリート」を初めて聴いた時は、ぶっ飛んだー。

ドラム&ベースが野太い音で真っ黒にズンズン響く中、ジャズとは風合いが違う、どちらかと言えばR&Bにより近いフレーズが鳴り渡る。

フレーズは、大いに歌いに歌っているけれども、流麗に流れるような所謂ジャズ的なフレーズとまったく違う。
シンプルだが、極めてジャアジィーで真っ黒けに響くのである。
そして何よりファンキーである。
グリーンのギター・スタイルを言葉で要約すれば、シンプル、ジャアジィー、ファンキーの三つの語彙がぴたりとはまるだろう。
(リズム&ブルースのフレーズを中心としながら、随所にチャーリー・パーカーの定番フレーズを、アクセントとして織り込んでいる。その意味においてはジャズと呼べるのだが、そこがグリーンの個性とも言えるし、クレバーなしたたかさとも言える。なかなか商売人であるー笑)


グリーンのデビューした61年前後は、ジャズ史の中で大きな転換期だった。

ジャズ史をざっと大雑把にくくってみると、40年台後半あたりからビバップが起こり、今度はビバップのさらに新しい形として、54年あたりからハード・バップが起こる。

やたら早く、音符を目いっぱいに詰め込んだチャーリー・パーカーやデイジー・ガレスピーの音楽を、クール・ジャズをやっていた弟分のマイルス・デイビス達が、変形させ、改良したのがハード・バップである。

ハード・バップは、ストレートにスピード感を追求したビバップに比べると、シンコペーションが多く、ビートをより細分化しているのが特徴である。

コンセプトにクールさを求めたけれども、ソロにもそうしたリズミックな要素を取り入れたため、演奏全体がより躍動感に溢れるものになった。
さらにブルージィーな要素をも強調している。

クールさと躍動感は相反するものだが、それらが混然一体となった。
音楽としてより複雑になったのである。


さらに、60年頃から、モード・ジャズの流れが起き、フリー・ジャズの伊吹も芽生え始める。
そして、それらが60年代のジャズの大きな流れとなり、新主流派と呼ばれるようになる。
もちろんモードの牽引者もマイルス・デイヴィスである。

一方で、ビ・バップから懸命に離れようとし、ひたすら斬新さを追いかけていくモード、フリーの流れとは逆に、もっとシンプルに、黒人音楽として発展したジャズ本来の躍動感、ファンキーさを追及した流れも起きた。

それがいわゆるファンキー・ジャズである。
レーベル、ブルーノートはオーナーのアルフレッド・ライオンの嗜好もあって、そうしたファンキー・ジャズ路線に力を入れ始めた。


もう30歳に手の届く遅咲きながら、そこに満を持して登場したのが、グラント・グリーンである。




グラント3




61年のデビュウー年は、グリーンの生涯の中でも最も飛ばしに飛ばして快進撃した年である。
まず、ファンキー・オルガンのベビー・フェイス・ウイレットのサイドマンとして参加した、「フェイス・ツー・フェイス」では、サイドマンというよりまるで自身のアルバムであるかのように圧倒的な存在感を示した。

このアルバムは、ほとんどギター・アルバムと言っていいほど、グリーンのギターは個性的で、印象的に鳴り響いている。

おそらく誰もが驚くのが、その独得の音色である。
当時、ブルーノートにはギタリストは、ケニー・バレルしかいなかった。
アルフレッド・ライオンは、ケニー・バレルに十分満足していたから、他の新しいギタリストを発掘する必要がなかったのである。

バレルのギターの音色は、スーパー400というギブソンの最も大きなギターから鳴る、フルアコ特有の柔らかく甘いトーンだった。
この音色は、40年以上経った今でもそうだが、いわゆるジャズ・ギターの王道の音色として、定着している。
ケニー・バレルのギターは、そのスタイル及び、その音色に於いてもハード・バップそのものだった。
やがて、「音」に於いて、66年発表の「ミッドナイト・ブルー」で究極の完成をみる。
(これは大音響のジャズ喫茶で聞くと、何よりも音に痺れますねー)


ジャズ・ギターは、今も昔もフルアコの甘いトーンでなければいけないのだ。
(因みに、スーパー400を愛用するJージャズ・ギタリスト、岡安芳明は、プロになっても25年以上まだ、バレルのあの音に近ずくため、弦、弦高、ピックなど等、日々研究しているそうである)

グリーンの音色は、そう言った甘い従来のジャズ・ギターのトーンとは、まったく音のコンセプトを異にするものだった。
グリーンがデビュウー当時、愛用していて、今でもグラント・グリーンの代名詞になっているギターは、ギブソン330である。

通常のセミアコ・ギターは、内部がセンターで左右に区切られ、完全には空洞ではない。
330は、セミアコと同じ形状でありながら、内部が完全にフル・アコースティックになっている。

さらに、このギターは、「P90」というシング・コイルのピックアップを付けているのが特徴である。
通常のジャズ・ギターは、例外なくハムバッカーという甘いトーンのピックアップを付ける。
P90の音はあえて言うならば、ロックンロールに近いような音である。

(この低音の響かない甲高い330の音は、人によって好き嫌いが激しい。
例えばジム・ホール愛用で有名なダキストの甘くまろやかな音とは対極をなす。
ジム・ホールが好きな人はほぼ例外なくグリーンが嫌いと言う。理由はギター・スタイルとともに、その「音」に違和感を覚えるのである)


現在、ギブソン330は生産されていない。代わって流通しているのは、エピフォンのカジノである。
元々はエピフォン社がギブソン社に対抗して、330と細部までまったく同じモデルを作っていた。
しかし、後年、エピフォン社は、ギブソン者に買収され配下になった。
そこで、ギブソン社は330を廃番にし、エピフォンのカジノが大量に出回るようになった。

グラント・グリーンの代名詞はギブソン330であるが、ビートルズのジョン・レノンの使用楽器としてカジノは有名である。カジノと言えばジョン・レノンをインスピレーションする。

ファンキー・ジャズの旗手グラント・グリーンと、ポップス、ロック界の大スター、ジョン・レノンのギターは、なんと同じギターだったのである。

(因みに、330は現在、プレミアが付いてビンテージで50万、60万円もする。カジノはすべて韓国での大量生産で、市場価格は約7万円ちょっとであろうかー)




グラント4



61年のデビュー・リーダー・アルバム、「ファースト・グラント」に続き、第二弾が前述の「グリーン・ストリート」である。
その後、「サンデイ・モーニング」、「グラント・スタンド」、62年の「フィーリン・ザ・スピリット」と立て続けに、リーダー・アルバムは出る。

個人的には、この61年、62年のデビュウー当時の初々しいリズム&ブルース的ジャズ(奇妙な言い回しだが)の時代が最も好きである。
フレーズに、音色に、まっ黒けのファンキーさに、グラント・グリーンの最もグラント・グリーンたる個性が出ているのが、このデビュウー当時に堰を切ったかのように出た一連の作品群である。



(※ただ今、執筆中。続くー)






2010/12/22 00:00|ちょい音ダイアリー

Copyright(C) 2006 ジャズ & ボサノバ 音楽サークル「サウンドダック」ー♪♪ 交流会 神戸/大阪(関西) 仲間募集−♪♪♪ All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログ template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.